建筑物介绍
文化遗产的指定
富岡製糸場は1987(昭和62)年操業を停止した後、2005(平成17)年7月に敷地が国の史跡に、そして翌年2006(平成18)年7月には創業当初期の建造物が国の重要文化財に指定されました。重要文化財のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟は2014(平成26)年12月に国宝となりました。現在は富岡市が所有・管理を行っています。
富冈制丝厂于1987年停止缫丝业之后,此用地于2005年7月被指定为国家历史古迹,紧接着第二年2006年7月创业初期建造的建筑物被指定为国家重要文化遗产。重要文化遗产中缫丝车间、东侧蚕茧仓库、西侧蚕茧仓库这三处在2014年12月成为国宝。现在由富冈市所有并进行管理。
历史古迹
指定面积 55,391.42m2
主要建筑物的建造方法
創業当初に建てられた富岡製糸場の建造物は、横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが製鉄所を参考に50日ほどで図面を引き、日本人の大工や職人によって建てられました。
これらの主要な建物は、木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋の建築方法で建てられましたが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物です。「木骨煉瓦造」は、最初は横須賀製鉄所で導入された建築工法で横須賀から富岡製糸場に伝わりました。
建物の主要資材は石、木、煉瓦、瓦で構成され、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスより輸入されました。中心となる材木の杉は妙義山、松は吾妻と主に官林より集めました。また礎石となる石は連石山(現甘楽町)から切り出してつくりました。
煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)の笹森稲荷神社東側に窯を築き瓦と共に焼き上げました。その中心となったのは韮塚直次郎を含む埼玉県深谷からやってきた瓦職人でした。煉瓦の目地には、モルタルの代わりに漆喰を使い、原料となる石灰は下仁田町青倉・栗山で調達しました。煉瓦壁は、フランス積みで積まれています。この積み方は主にフランス北部のフランドル地方で用いられた工法で、フランドル積みとも呼ばれています。
これらの主要な建物は、木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋の建築方法で建てられましたが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物です。「木骨煉瓦造」は、最初は横須賀製鉄所で導入された建築工法で横須賀から富岡製糸場に伝わりました。
建物の主要資材は石、木、煉瓦、瓦で構成され、鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの蝶番などはフランスより輸入されました。中心となる材木の杉は妙義山、松は吾妻と主に官林より集めました。また礎石となる石は連石山(現甘楽町)から切り出してつくりました。
煉瓦は、フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)の笹森稲荷神社東側に窯を築き瓦と共に焼き上げました。その中心となったのは韮塚直次郎を含む埼玉県深谷からやってきた瓦職人でした。煉瓦の目地には、モルタルの代わりに漆喰を使い、原料となる石灰は下仁田町青倉・栗山で調達しました。煉瓦壁は、フランス積みで積まれています。この積み方は主にフランス北部のフランドル地方で用いられた工法で、フランドル積みとも呼ばれています。
创业初期所建立的富冈制丝厂的建筑物是由曾在横须贺制铁所工作的法国人奥古斯特·巴斯琴绘制设计图,日本人的工人和工匠建立起来的。这些主要建筑物都是由木头组成骨架,利用砖块砌成墙壁所建造出的名为“木材骨架砖瓦结构”的西洋建筑方法来建造的。但是屋顶是用日本瓦修建的,是完美结合了日本和西洋技术的建筑物。“木材骨架砖瓦结构”最初是在横须贺制铁所导入的建筑工法,再从横须贺传入富冈制丝厂。建筑物的主要材料为石头、木头、砖、瓦而构成,铁框的玻璃窗以及左右对开门的铰链等均是由法国进口。作为中心木材的杉木来自妙义山,松木来自吾妻,主要是从官林采购来的,小型木材均采集于附近的山林。此外作为基石的石头是从连石山(现甘乐町)砍伐来建造的。砖是由法国人技术者将制作方法教给制瓦匠,在福岛町(现甘乐町福岛)的笹森稻荷神社东侧筑起窑子并一同烧制了砖和瓦片。作为此中心人物的是包含了韮塚直次郎在内的来自埼玉県深谷的专业制瓦匠。砖的接缝口使用了灰泥来取代水泥灰浆,作为原料的石灰采购于下仁田町青仓、栗山。砖墙是使用了法式砌砖法砌起的。这种砌砖法是主要在法国北部的佛兰德斯地方所使用的工法,也被叫做佛兰德斯砌砖法。
(图)法式砌砖法
(图)英式砌砖法
富冈制丝厂的主要建筑物
①缫丝车间(国宝)
繭から糸を取る作業が行われていた建物です。長さ約140mの巨大な工場で、創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場でした。小屋組みにトラス構造を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作り出すことが出来ました。
进行从蚕茧取丝工作的建筑物。在长约140m的巨大工厂内,设置了创业时期从法国导入的金属制的缫丝机300台,是世界最大规模的机器制丝车间。通过在小屋组合中使用桁架构造,在建筑物的中央制作出了没有柱子的的大空间。
②东侧蚕茧仓库(国宝)
主に繭を貯蔵していた建物です。2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場として使っていました。長さおよそ104mにもおよぶ巨大な繭倉庫です。
主要作为储藏蚕茧的建筑物。2楼储藏干燥的蚕茧,1楼作为事务所以及工作车间使用。是长达104m的巨大蚕茧仓库。
③西侧蚕茧仓库(国宝)
東置繭所と同様に2階は繭を貯蔵していた建物です。大きさ・構造は東置繭所とほぼ同じですが、1階の北半分の東面は官営期に蒸気機関を動かすための石炭置き場として使われてため東面には壁がありませんでした。この部分の煉瓦壁は1981(昭和56)年頃に積まれたものです。
与东侧蚕茧仓库一样2楼是用于储藏蚕茧的建筑物。面积、构造几乎和东侧蚕茧仓库一样,但是1楼的北半部分的东面在官营期间作为为了让蒸汽机动作的石炭放置场而被使用,因此东面没有墙壁。现在这部分的砖瓦壁是1981年砌起的。
④首领馆(重要文化遗产)
指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。コロニアル様式で、床が高く、建物の四方にベランダが回り、窓にはよろい戸を付けた風通しの良い作りとなっています。ブリュナが去った後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用されました。
作为指导者被雇佣的法国人————保罗・卜鲁纳和家人一起居住的地方。作为科洛尼亚式建筑,地板很高,建筑物的四面都有阳台,窗户装有百叶窗通风良好。卜鲁纳离开后作为女工们的宿舍以及教育、娱乐的场所而被使用。
⑤蒸汽车间(重要文化遗产)
ボイラーと蒸気機関が設置されていた建物です。後に改造・増築され蒸気釜所や選繭場として使われました。
放置锅炉和蒸汽机的建筑物。之后经过改造、增建被作为蒸汽车间以及选茧车间而使用。
⑥检查员馆(重要文化遗产)
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居です。首長館と同様、コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています。後に改修され現在は事務所として使用されています。2階には政府の役人や皇族が訪れた際に使用された「貴賓室」があります。
负责生丝的检查等的法国人男性技术者的住处。和首领馆一样采用科洛尼亚式建筑因此通风非常良好。之后经过改修现在作为事务所使用。2楼有政府官员和皇族访问时所使用的“贵宾室”。
⑦女工馆(重要文化遗产)
日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居です。首長館と同様、コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています。後に改修され食堂や会議室として使用されました。
为了教给日本人女工使用机器制丝的取丝技术而雇佣的法国人女性教师的住处。和首领馆一样采用科洛尼亚式建筑因此通风非常良好。之后经过改修作为食堂和会议室使用。
⑧铁水槽(重要文化遗产)
1875(明治8)年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽です。この鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ、およそ400トンの水を溜めおくことが出来ました。
建造于1875年左右,为储存制丝必要的水的巨大水槽。这个铁水槽的制作中使用了军舰造船技术的铆钉技术,可以储存大约400吨的水。
⑨室内下水道和室外下水道(重要文化遗产)
創業当初に造られた排水溝で、繰糸所からの排水と建物の屋根からの雨水を、富岡製糸場の南側を流れる鏑川に放水するために設けられた下水道です。現在でもほぼ完全な形で残されており、現在も雨水用排水として使用されています。
作为创业初期制造出的排水沟,为了将缫丝车间排出的水和从建筑物屋顶排出的雨水都流放到富冈制丝厂南侧流淌着的镝川中去而设置的下水道。现在也几乎以完全的形态被保留了下来,现在也作为雨水用排水道而使用。